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夜間中学その日その日 (254)   守口夜間中学 白井善吾

西本願寺伝道院との交流
守口夜間中学は積極的に、交流活動に取り組んでいる。夜間中学の訪問をうけ、参観だけではなく、実際に夜間中学生の横に座って、夜間中学の学びを体験していただいている。

今年も守口夜間中学の交流が始まっている。7月4日午後4時、京都西本願寺伝道院で学ばれているお坊さん48人の来校があった。この交流は今回で7回目。夜間中学生の意見発表の後、授業体験、夜間中学生との全体交流と午後8時過ぎまで、盛りだくさんの内容だ。
北は北海道、南は鹿児島と全国各地から来られたお坊さんたちで、夜間中学を全国に広げることにも役立っている。どこから来られましたかと尋ね、故郷が同じ夜間中学生を紹介することもある。日本語が十分に理解できない人とどのようにして、意思疎通を図るか?一方夜間中学生も、どのようにして、隣に座った人に自分の考えを伝えるか、双方の展開を確かめながら、ゆっくり時間をとった。夜間中学生、訪問者、教員にとって重要な学習の機会となった。このことは、将来、布教使として活動されるとき、この交流の経験の持つ意義は大きいと考えている。この日1度きりの訪問だけでなく、守口夜間中学の教員が、事前、事後と伝道院で講義を行い、定着を図っている。
ほどなくして、分厚い感想が届いた。いくつか紹介する。
「夜間中学で学ぶ皆さんは、私の目にとても眩しくうつりました。その眩しさというのは、純粋に何かを学ぶことができる喜び。諦めていたはずの場に居場所が与えられている喜びから現れ出る眩しさ。それは直接お会いすることができたらこそ感じられたものであり、文字や言葉では決して伝わってこないであろう眩しさではないか、と感じました。人の言葉のもつ温もりというかライブ感の重要性を学びました」
「夜間中学生が“学校に来ると心が裸になれる、学校へきて教室のドアを開けるとホッとする”とおっしゃった」
「文字がわからないから文字を習うということだけでなく、失った権利や自尊心を取り戻すために義務教育を受けている。そのことがどんなに大事なのかを知らされた。そして「学ぶ」ということが、どんなにありがたいことなのかを教えられた」
「この学校のおかげで、社会の中に自分の居場所がある喜び、人間としての尊厳を手に入れることができる」「この学校は今の社会で忘れてしまった大切なことを問うているのではないかと感じた」
「競争社会の中、画一的な授業を展開して、ついて来られるものは是とされ、それについて来られなければ非とされ落とされていく、日本の教育の現状が厳然とある。けれども夜間中学では「教育とは何であるのか」という原点を改めて示していただいたように感じた」
「浄土真宗の教えとは何かと考えると、一文不知の尼入道のための教えではなかったかと思う。宗祖の時代、文字が書けたという人というのはごく少数ではなかったか。そんな人たちに教えを伝えてきたのが真宗教団ではなかったか。そういうふうに考えると今回の夜間中学で自分が感じたことばの大切さ、どんな人にもことばを伝える難しさというものは本来的な意味から言えば最も大切なことではないかと思う」どれも重みのある感想が綴られている。
こんな感想文もあった。夜間中学生の意見発表を聞いて、「新しく学ぶことで、生き抜いた人生に値打ちが与えられていく」と感想を寄せられた。
この意味のことを、ある夜間中学生は夜間中学に来るまでは、否定的にしか見えなかった肉親の生きざまを、そうだったのか?そんな意味があったのかと肯定的に受け止めることができるようになったことを「自分を許すことができた」と文章に書いている。私も、夜間中学で学ぶ意義の一つはそんな見方ができる、そんな教材、学びが大切だと思う。
訪問者との交流の中から気付かされた。夜間中学が持っている、大きな財産を私たちは確認することができた。

[ 2012/08/23 09:36 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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