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夜間中学その日その日 (252)   守口夜間中学 白井善吾

夜間中学が教科書に登場
2013年から使用される高校教科書の中に夜間中学が記述された教科書があった。新教科書の展示が、府立中ノ島図書館で行われていた。たまたま立ち寄り、見ることができた。


「現在、日本には多数の外国人の人たちがいる。彼らが日本にやってきた背景には、さまざまな歴史がある。また、彼らが日本人や他の外国の人たちと、たがいの文化・言葉・歴史などを学び交流する国際理解の場は時代とともに変化している。ここでは、夜間中学を事例に、在日外国人の歴史と交流の歴史について調べてみよう」との書き出しで、夜間中学について2ページを使って取り上げている。守口の夜間中学生が作った藍染の共同作品の詩「わたしはやかんちゅうがくせい」が載っている。

わたしは やかんちゅうがくせい/夕方になったら いそいそよういします/むすめに ほんまにすきやねんなあ いわれもって/むすこに えらいふしぎやねんなあ いわれもって/うきうき わくわく 学校へきます/学校いってんねん しってる人に せんでんします/ 

よみかきでけへんこと どれだけくろうだったか/いきがとまるほど かなしいことがあった/はぎしりするほど くやしいこともあった/心のなかには 雨の日が おおかった/

いまは 小さい空に日がさしたように/一文字おぼえるたびに せかいがひろがります/みちをあるいているとき はりがみをみたとき/テレビみているとき でんしゃやバスのるとき/びょういんにいったとき やくしょへいったとき/しごとするとき しょうめいかくとき/エンピツもつのが たのしい/わすれて きくのも またたのしい/

学校きてるときは わたしだけのじかん/いまとむかしの 二ばいぶんのじかん/とりもどしていって だんだん/わたしは わかくなっていくようです/よむこと かくこと しることは わたしのかつりょく/雨がふっても かぜがつようても 学校へきます/きょうも かいた文字が/ないています わろうてます おこってます 

そして「ひらがなと簡単な漢字で書かれたこの詩には、ながいあいだ日本語の読み書きができなかった在日韓国・朝鮮人の女性の思いが書かれている」と説明している。

夜間中学の歴史をふり返ると、国や文部省は夜間中学開設に反対の姿勢をとり続けてきた。
1951年、東京で夜間中学の発足に当たって、文部省は5点の理由を挙げ開設に反対した。①夜間中学校は学校教育法で認められていない。②夜間中学校は労働基準法違反に通ずる。③夜間中学校を認めることは、生活保護法・学校教育法によって課せられている国・地方公共団体及び保護者の学齢生徒が正当な教育を受ける権利を尊重し、保護すべき義務を怠ることを正当づけることになる。④夜間中学校は生徒の健康を蝕む。⑤夜間中学校では、中学校の各教科にわたって満足な学習ができない。
 しかし、国や文部省の目論見に反し、夜間中学は増加の一途をたどった。そこで、1955年9月、文部・厚生・労働の三省次官通達 「義務教育諸学校における不就学および長期欠席児童生徒対策について」を出し、抑制にかかった。この通達により、教育体制が昼と比べ、充分でない、夜間中学が次々と閉鎖されていった。鬼っ子扱いを受けてきた夜間中学の歴史だ。
この歴史も、少しずつ変化している。その証左ではないかと考える。夜間中学が今あること意味がようやく認められてきたといってもよいのではないか。

「戦後、日本に定住した外国人が来日した背景にはどのような歴史があるだろうか。また。彼らが学校で学べないことが多かったのはなぜだろうか。かんがえてみよう」など研究課題を学習者に提起している。
私たちが作成、出版した『夜間中学生―133人からのメッセージ―』(東方出版)も参考文献として紹介している。
この教科書を使って、学習者はどのように学習を進めていくのか、大変興味がある。
[ 2012/08/11 17:06 ] 寄稿 | TB(-) | CM(-)


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