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メデイアウオッチング―「いじめといじり」:鄭容順

昨年10月、滋賀県大津市で市立中学2年男子は「いじめ」が原因で自殺をした。この事件は今年の7月に入ってからにわかに「いじめ」があったなどと報道メデイアは盛んに取り上げた。

大津市の越直美市長が今年1月に第24代大津市長に就任した。
昨年の秋に起きた中学男子の自殺、それが「いじめ」だったと公に公開されるのに水面下では何かが動いていたのか。弁護士だった越直美さんを市長選挙に出馬、有権者の心、何かが動かした。その裏で何を話し合われていたのだろうか。いつかまた世論に分かるときが来るだろう。

テレビ画面でタレント同士がいじりあって笑わせて視聴率を上げている。
しかし彼らたちは仕事と割り切っていじる人、いじられる人になっている。
これを一般社会や学校でされては困るひとも多くいるはずだ。
遊びの中でもいじる人はなんとも思わないかもしれない。しかしいじられる人は嫌だと思っている。
大人の社会でもそういうこともある。
いじられた人は大人なのでそこでは我慢している。けれど心の中は傷をついている。いじる人はなんとも思わないでしているだろう。
いじられた人はいじりが積み重なって心の傷はどんどん深くなっていく。
必ずある日、爆発することもある。
そして仲が良かった友人関係でも離れていくこともある。これは明らかに「いじり」が「いじめ」になっている。
「いじる」はコミニユケーシヨンづくりの一端だが相手の気持ちを理解してからにしてもらいたいものだ。

昔の親は子どもの躾によく子どもに言い聞かせた。
「自分がされて嫌なことは人にしてはいけない」と。
「いじり」もその1つです。本人が嫌がっているとこれも「いじめ」になる。
こうした家庭教育がいつから欠如し始めたのだろうか。

大津市内の中学校で起きた「いじめ」事件、新聞記事によるとさまざまなことが書かれている。新聞記事によると自殺ごっこをさせたりした。明らかにこんなこと本人は嫌だったはずだ。家で家族のお金を盗ませることも本人は嫌だったはずだ。またコンビニなどで万引するのも嫌だったはずだ。
普通に暮らしている人たち誰もがこんなことを強制されることは嫌なことです。
この善悪は親が生活している中で子どもからうるさがられても言い聞かせて躾していることだ。
それを強制的にさせた中学生、そして見て見ぬふりをした教師たち、自殺した本人の気持ちを少しでも考えたことがあればこんな事件が起きなかった。
教師も知らん顔、教育委員会も知らん顔した。
見て見ぬふり。
「余計なおせっかい」と思っていたのだろうか。

「余計なおせっかい」という言葉に最近の保護者のあり方を知ることになった。
ある日、筆者近くに住んでいる小学生の保護者が話した。
「この間、息子の友だち、男の子が我が家に遊びに来たのです。あまりにもいたずらが過ぎて私は他所様の子どもでも叱って注意をしました。そしたらその息子さん、家に帰ってお母さんにいったのでしょう。夜遅くにそのおかあさんから電話があって『息子に注意するのは余計なお世話です』とすごく非難されました。それからもう恐くて他所の子どもが悪さをしていても注意しないことにしました。昔は近所のおばちゃんに怒られても自分が怒られることをしていたので怒られて当たり前と思っていました。今は違います。『余計なお世話』になります」と話した。
これは奈良市内に住んでいる保護者の言葉です。
注意することが「余計なお世話」として全国的に広がっていればこの日本社会はおかしいです。
お母さんの「余計なお世話」が子どもの心に入っていく。中学生あたりになると自分に気にいらないことがあったりいわれたりするとその子をいじめていく。
最初はいじって意地悪をしていく。要するに「いじり」も「いじめ」の最初の段階ではないだろうか。

保護者は家庭教育の中で他所様と比較して他所様の子どもの悪口をいう。保護者たちは権力者にはなびいて弱い人を落としいれていく人もいる。
家庭教育とは子どもが成人すれば自立して社会の中で生きていけるように育てている。周りに助けられて自分も周りを助けていくことを教えていく。
いつの時代から人を蹴落としても自分が上がっていく。
人の頭を階段のようにして出世コースの階段を上り詰めてきた時代があった。
1980年代後半から1990年代の後半、バブルの時代だった。
そんな時代に育った子どもたちが親となって人の痛みの分からない人格になっているのだろうか。肩書きで人を認める。経済格差で人を決める。そんな時がバブルの頃はまかりとおっていた。

「いじめ」はいつの時代もあったが大津市内で起きたような「いじめ」にならならなかった。しかし現在は全国で似たようにことが起きている。
集団リンチ事件、喧嘩の仕方がわからい子どもたちは叩く加減がわからない。
昔の子どもは上級生に怒られて叩かれても叩く加減があった。下級生はこの加減をいつのまにかのみこんでいく。
現在は口喧嘩もできない子どもも多くなっている。
そして親子が友だち関係に変わってから子どもたちは屁理屈が上手くなった。親に口答えをして自分を正当化する子どもたちも増えている。
何がそうさせているのか。

「いじりあって」遊んでいる。これは本人が嫌がっていればやめること。本人が嫌がることは「いじめ」です。
だからテレビの画面でいじりあっているところを見せる時は何かの方法でこれは「学校や家庭ではしてはいけない。本人が嫌がっていればやめること。やめないで続けていることはいじめにつながっていく」といってもらいたい。

日頃、タレントたちがテレビの画面で「いじりあっている」ところが気になっていた。そしてタレントの木村拓哉さんは「テレビは仕事でいじられているがプライベートでいじられるのは嫌です」といっている。タレントも普通の人間とまた認識した。木村拓哉さんの言葉に昔の言葉を思い出した。
「自分がされて嫌なことは人にもしてはいけない」
「いじり」も同じでふざけてしていて本人も楽しんでおれば別ですが本人が嫌だと思うことはやはり「いじめ」になる。

筆者は思う。
現在社会の40代、50代が育った時代、そしてその子どもを育てた60代後半から80代にも何か反省をしなければならない。
国をあげて学校教育・家庭教育の見直しが必要である。

「学校教育の基本的人権」について元教師が話してくれた。
「学校は学校集団教育・学級集団教育・地域集団教育です。学校でも学級でも体の弱い子どもたち、障害を持った子どもがいればこの子どもたちが『核』になって教育をしていくのが教師の使命です。地域にあった教育も大切です。幼稚園から中学校という義務教育、子ども1人1人が学ぶ権利がある。子どもが生き生きと登校できるのが学校です。どの子どもも何でもいえる学級集団を作ることです。これは大切なことです。教師たちは学級集団作りで1学期はこの取り組みをします。そのために学級会やホームルームの時間を大切にしていくのです。
大津市内で起きた事件、学校も教育委員会も腐敗している。何がそうさせたのか。これから調査することで明らかになっていく。大津市長は女性ですが女性だからこそ子どもが傷ついたところが見えてくるのです。女性はどんな仕事でも男性の視線の中で仕事をしてきたので男性の見えないところが見えているのです」と話した。

筆者も「いじられる」ということは好きでありません。それで何度も心に傷をつけている。小学生の時は会話のできない子どもだった。会話ができなくてもきちんと心の根ははっている。小学4年の時、いつも背中を叩かれて痛い目をしていた。それでも会話のできない筆者は黙って叩かれていた。そのとき同じクラスで成績優秀の男の子が「こら、お前、なにしてんね。そんなことしたらあかん」と、大きい声で怒鳴ってくれた。
それから叩かれることはなかった。
しかし大人になってもずっと叩かれたことは深い傷になっている。そして助けてくれた勉強のよくできる男の子のことはずっと忘れることなく今もそれに感謝して同級生の集りのあるときは楽しく出かけている。
子どもも1人の人間、心があって情をもっている。
悲しかったことは悲しく記憶に残り楽しかったことも記憶に残る。

筆者の言葉です。
「死んだらあかん。強く逞しく生き抜いてほしい。生きていれば必ず生きていてよかったと思う時がある。生きていれば辛かったことを土台にしていい人と出あい自分に生きる力を与えてくれる。それとほんの30分でもいい。1人で物を考えることを神さんが与えてくれたと思って孤独という扉を開けて本を読む時間や1人で物を考える時間と思って大切にしてもらいたい」

どうすれば解決するのか筆者は分からない。
しかし「死んだらあかん」とはいいたいです。
最後に新聞の投稿欄で見た言葉を引用しておきます。
ある投稿者が「4つの言葉で子育て」と書いている。
「乳児期には肌を離さず、幼児期には手を離さず、学童期は目を離さず、思春期には心を離さず」です。子育てをしている親は参考にして下さい。
[ 2012/08/07 06:00 ] 鄭容順 | TB(-) | CM(-)


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